絶対的肯定感

正月から 2日に1度ぐらいの 割合で 瞑想を させて いただいているexclamation ×2  最初は 1時以上 座らせて いただいていたが、 30分ぐらいに 落ち着いてきた。 そのほうが スッキリしているのだ。

今年の 特長は より 社会生活に 密着してきた。 具体的に言うと 普通の 生活の 中に 埋没していて、 より 普通に なったのだ。 それは 瞑想、座禅の世界の ナチュラルさ 普通ではなく、 あくまでも 社会の中の 普通の 当たり前さであるexclamation ×2

昔は 瞑想、座禅の世界の ナチュラルさに 固執していたが、 今は 瞑想は 瞑想の 世界、 社会生活は 社会生活と 割りきれるようになった。 40年も かかって やっと 到達した 境涯である。

67才に なって やっと 社会人が 様に なった。

そして 今年からは 二者選択 するよりは、 「ホットク」 その状態の あるがままを 受け入れると 決めた。 迷ったとき 自然に 任せるようにしたのだ。 ダイジが いっているように 実質的に 相手を 傷つけたり しなかったり、借りた金を 返さないなどの 行為以外は 坐が 解決してくれるということを 体験で 学んだのだ。

今日の朝の坐が そうだ。 坐後 1時間 不思議な 肯定感が わいてくるexclamation ×2 不思議な 喜びに 包まれるexclamation ×2 これが あるから 瞑想は 止められないんだよなあexclamation