大 器 晩 成

私 たっちゃんが ダイジから 只管打坐をご指導 していただいたのは、確か 28、29才の 頃だったと 思う。 場所は 青梅道場である。 午後の昼下がり、 日差しが 温かかったexclamation 私の 座った 姿勢を 丁寧に チェックしてくださったexclamation 腰の 位置が 最重要なので、 手で触り、コンコンと やさしく 触れた。そのとたんに 私の 背中が ピーンと 伸びきったexclamation それから 手の位置、足の組み方を 前から 横からと 注意深く 見て、直して  いただいたexclamation

腰が 痛いと言うより 気持ちが いいのだexclamation 私は このとき 一生 只管打坐を しようと 自然に 腹が 据わった。 懐かしい 思い出である。

それから 40年。 今の 私は 背中も ピーンと 伸びていない。 足も 組めない。 手も 正式では ない。 それでも 体験は 起こる。 言ってはいるが、それに 捕らわれて いないだけなのだ。 

ダイジも 只管打坐の 体験は 書いている。私も ビホーの 時は いろんな 覚者の 体験談を 読ませて いただいたexclamation 

そして アフターになって 初めて ダイジが 言っているように 「只管打坐に 形が ない」というのが 分かったのだ。 いろんな 表現方法が 可能なのである。 それ以前は 形 ダイジが 言っていた 言葉に 従うしか ないのだ。

それでは 私たっちゃんは アフターの 人間なので あろうか? それは 私が 書いた 書き込みを どう読むかという 読み手の 力量、 感性 に かかって いるのだ。 ただ たっちゃんは 客観的な 形 立ち位置として 30数年前に ダイジから 「見性 一歩 手前」と 言われてから、 誰からも 認められて いないからだ。

ただ 自己評価としては EVERYTHING IS OK なのだ。ハート  

もちろん たっちゃん独自の 物差しも 持っている。 人の 評価を するときには どうしても 物差しが 必要なのだ。 たっちゃんの 物差しは 甘く 大抵は 死んだとき OKと 言える と 言っている。 

私は OKと 言えるまで 40年間 かかったが 死ぬ瞬間でも いいからだ。ハート