タッチング そして 純粋瞑想へ

タッチング そして 純粋瞑想へ

高い ハードルを 課した 友から 一年ぶりに 連絡が あった。 一年前に 今度 来るときは 命を 持ってこいと 脅して 別れたのだ。 もう 私 たっちゃんは 二度と 連絡して 来ないだろうと 思っていた。 その友から 連絡が あったのだ。 住所も 変わって いたのに よく 連絡を してきたなあと 感心した。 今年の 7月の 事である。 

よっぽど 腹を 括ってきたのだろう。 タッチングは 大成功消防車ハートラブレター。  深い 意識に 至った。 本人 曰く 「こりゃ 文章に 書けないなあ」。 本当に 言葉では 言えないくらいの エクスタシーだったのだ。 

だが タッチングの 限界も 感じた。 その前に 神秘体験と 知的理解の ギャップが あるのだが、 タッチングは 所詮 気持ちが いい という レベルなのだ。 Everything Is OK とは 全く 別問題なのだ。

だから 今度 来るときは さらに ハードルを 上げて 純粋瞑想を 分かち合う ことに している。 ダイジの 純粋瞑想 クンダリーニ、只管打坐 とは ちょっと 違うのだが、 基本的には 同じものである。 ダイジは ニルヴァーナに 到達 しているのが、 たっちゃんは その 一歩 手前 Everything Is OK  なので、 そこまで 分かち合いを したいのだ。 その友とは できると 思っている。

その友とは 十分に 信頼関係が 出来上がって いると 思っている。 なぜなら、 信頼関係が 出来ていないと 何を やっても ダメなのだ。 しかし この 信頼関係も 受け手に かかって いるのだ。 私 たっちゃんは 相手を 理解を 越えた 理解で 信頼 しているのだ。 そして 相手の すべてを 背負って いるのだ。

もう たっちゃんは 純粋瞑想しか 分かち合いが できなくなった。 今度は 純粋瞑想に ついて 書くつもりだ。