たっちゃん風 見性 新定義

私 たっちゃんは、 メンタル体 アナハタに 「風穴を あける」を もって 見性と 言っていた。 しかし それでは、 令和の 時代には もう 通用 しないと 悩んでいた。 苦しいのあるexclamation ×2 確かに メンタル体 アナハタの 爆発などは 意識を 変える。 ダイジが 言っている 絶対愛は 気持ちの いいものである。 

すべてのものが、 大変動している 「 い ま 」には 時代遅れに なったと 感じていた。 泣いているだけじゃあ、 ダメだぞと 言われ続けて 5年が たっていた。 それでも メンタル体 アナハタの 快感に 固執していたが、 それでは らちが あかなくなったのだ。

それは 昨日の夜に 起こったexclamationハート デイナイトケアの 仲間、活動に 誠実に 接すれば 接するほど この世の 「哀れ」に 打ちのめされて 泣いていた。 みんな 知らないのだ。 デイナイトケアの 空間が 瞑想とは 無縁の 環境で あるゆえに、 この世が 無情で あるがゆえに 家に帰ってから この 悲しさに 泣いていた。

さすが 辛くって 思わず 座った。 かっこいい 座り方では 全くない。 足は あぐら、だらしなく 座ったが じっと していられない。 足を 伸ばしたり、 身体を 右に、左に 動かしたりと していた。 ただ 時間だけは30分だけは 座らないと と 決めていた。

く る し い 。 それでも 座ることに 専念して 座っていた。 涙が 流れるexclamation ×2 アナハタが スースーするが それでも く る し い 雨雨雨 スッキリしない。 も が く、、、 エネルギーが 上昇 してくるexclamation ×2 突然 サハスラーラから エネルギー抜けて 意識が 広がる。 そして 驚いていたら サハスラーラで 呼吸しているのだ。 この 解放感。き も ち が い い 。意識が サハスラーラに あるだけで これだけの エクスタシーが あるのだ。

これをもって 肉体的に 理解したのは、 これからは サハスラーラの 全面解放をもって 見性の 時代に 入ったのだ。 水瓶座の 時代を 生き抜くには、 この サハスラーラ意識を もって 立ち向かうことが 重要で あると。

そして 私 たっちゃんは アナハタの 解放ではなく サハスラーラの 解放をもって 見性と することに 決めた次第であるexclamation ×2

絶対的肯定感

正月から 2日に1度ぐらいの 割合で 瞑想を させて いただいているexclamation ×2  最初は 1時以上 座らせて いただいていたが、 30分ぐらいに 落ち着いてきた。 そのほうが スッキリしているのだ。

今年の 特長は より 社会生活に 密着してきた。 具体的に言うと 普通の 生活の 中に 埋没していて、 より 普通に なったのだ。 それは 瞑想、座禅の世界の ナチュラルさ 普通ではなく、 あくまでも 社会の中の 普通の 当たり前さであるexclamation ×2

昔は 瞑想、座禅の世界の ナチュラルさに 固執していたが、 今は 瞑想は 瞑想の 世界、 社会生活は 社会生活と 割りきれるようになった。 40年も かかって やっと 到達した 境涯である。

67才に なって やっと 社会人が 様に なった。

そして 今年からは 二者選択 するよりは、 「ホットク」 その状態の あるがままを 受け入れると 決めた。 迷ったとき 自然に 任せるようにしたのだ。 ダイジが いっているように 実質的に 相手を 傷つけたり しなかったり、借りた金を 返さないなどの 行為以外は 坐が 解決してくれるということを 体験で 学んだのだ。

今日の朝の坐が そうだ。 坐後 1時間 不思議な 肯定感が わいてくるexclamation ×2 不思議な 喜びに 包まれるexclamation ×2 これが あるから 瞑想は 止められないんだよなあexclamation

5日間の電話セッション

ダイジ メイトと 大晦日から 4日まで 5日間の 電話セッションを させて いただいたexclamation 最初は お互い 独り身で あったので 話そうと 言うことから 始まって 5日にも 及んだexclamation

初っぱなは 久しぶりに ということで、 世間話から。 それから ダイジのこと、 瞑想のことなど 多岐に 及んで 盛り上がり じゃあ 明日も いうことになった。 そして 5日にも なったのだ。

これは 常識的な 説明だが 深読みすると 最初っから 仕組まれて いたのでは ないかと 思えるのだ。 終わったあとで 総括すると そうなるのだ。 そして それは 私 たっちゃんの 立ち位置の 確認作業でも あった。

話の 内容は たっちゃん風 瞑想の すすめで あるが、 ダイジ メイトは 自分の 立ち位置を 5日も たつと すぐに 理解したらしく、 25分で 電話を 切って 互いの 健闘を 祈ることに なった。

EVERYTHING IS OK これを どう 料理 するかだ

純粋瞑想 前準備  神道マントラ

20年以上も 付き合いを させて いただいている 友が 私の いなか町に 来るという。 それで 今度は 純粋瞑想を 分かち合い しようと 思って、 その 前準備として 神道マントラを 毎日 あげてもらうように 頼んだ。 今日は その チェックの 日だった。 電話で お互いが 声を 出して あげるのだ。 お互いの 気が合わず 不調和音が 響くexclamation ×2 それでも 何とかと 15分 あげさせて いただいた。

最後に 天津祝詞を あげさせて いただいた。 何とかと スッキリして 友も 「のっていたね」と ほめてくれた。 私が マントラを あげると のるのは いつもの 事だが、 友の反応が 気になった。 のっていないように 思えたからだ。

色々な 思いが 胸を 交差しる。

不思議なことに それから 約12時間後 その友の 反応が ビーディフルな ことのように 思えて 納得したのだ。 友も 真剣に あげていたのだ。 その反応を 自分の 都合で 見ていたのだ。 それに気づいた。

ただ この ギャップ炎ラブレターハート どこから 生じた のだろうか???? それは たった 一瞬スパーク2(キラリマーク)象ぴかぴか(新しい)。 薄紙 一枚の差だ。

しかし これで 安心して 純粋瞑想に 取り組む 姿勢が できたexclamationハート

電話セッション

 

20年以上 付き合っている 友人と 電話セッション した。 ダイジが 私に してくれたように 私も その友人に 付き合った。

電話を 終えて 1時間以上が 過ぎた。 身体に 異常に 重いのである。 なにを する気にも なれない。 対話が アストラル ボディーの 対話で その以上の 進展が 無かったからだ。
それなりに 筋道は つけさせて いただいたが、 メンタル ボディーまでに 昇華 しなかったのある。

つまり 相手の 「重さ」を しょった のである。

メンタル ボディーとは ダイジ式 瞑想宇宙図から 見ると おおざっぱに 言うと 霊体に あたる。 清々しさ、 おおらかさ その他 もろもろの 肯定感の 源泉である。 

その友人は アストラル ボディーで 苦しんでいる。 その友人のために 何が できるだろうか? なにも できない。 只今 祈り、相手の 幸せを 祈ることしか できないのが、 人間である。

電話セッション後の 重さは 続く。 何とかしようと もがく。 苦しい。 身体を 動かしたり、 違う友人に 電話 したりと 何でも やった。 そうこう していたら、 突然 開けた。ハート

そうだ。 相手の 方が 間違って いるのだ。 全身全霊で 物事に 当たって いないのだ。 なんか 口実を つけて 自己弁護 しているように 見える、 そして それを 指摘できなかった 自分にも 非があるのだ。 すべてのものは 相互関係から 動いている。 相手だけが 悪いということは なく、 自分だけが 悪いという ものでもない。

突然 開けた あとに 来るのは 喜びで ある。 十分に 格闘 したあとには 解放感が ある。 それが すべてだ。 この 解放が あるから たっちゃん風 瞑想から 抜け出せないんだ よなあ。ハート

メリークリスマス

神のみが おわしますなり この世界 我は祈るか 聖夜の証しに


聖夜には ブルーナイトが 似合うなり 星がまたたく 愛の戯れ


星降りて 聖夜の晩は 異空間 異次元世界 広がりゆくか


聖夜には 神々教え 広がりて 地上天国 異次元旅行


世の中の すべてが祝う 聖夜には 絶対平和 いまここにあり

あらゆることの始めには、、、

「 あらゆる ことの 始めには 不思議な 力が 宿っている。 それが 我らを 飛翔させ 夢の中で 夢を 忘れしむる。」

ダイジが 私 たっちゃんに 送った メッセージである。 40年以上も 前のことである。 それから 今まで その意味を 考え続けた。 確かに 「 あらゆる ことの 始めには 不思議な 力が 宿っている 」。 生きるということの 源泉。 すべてが ある。 そこから すべてが 始まり、 夢の中で 夢を 戯れ、 夢を 忘れさせる。

それを 別の 角度から 見てみよう!

「 思いっきり 悩んだ後は 晴々と 心スッキリ ルンルン気分 」 というのが たっちゃんの 対処方法だ。 本当に 自分を とことんまで 追い詰める。 すると 不思議に 力が 湧いて くるのだ。 思いっきり 思索 するのだ。 すると 突然 開けてくる 時が くる。 全体の 解放が おこる。

これは 「始め」に 帰るための 作業でも ある。 迷ったら 始めに ゼロ ポイントに 戻る。 それが 思索 タイムだ。 それは 具体的には 只管打坐を したりする ことなのだ。 只管楽打坐 なり 瞑想行為を した方が 早く 解放されるのは、 経験則から 間違いがない。

この方法で うまく いかないと いう 意見を 聞いたことが ある。 それは ちょっと しただけで ルンルン気分に なれると 思っている 勘違いである。 最初は それなりに 「努力」
が ともなうが、 慣れてくると 思いっきり 悩んで ゼロ ポイントに 戻った方が 本当に 心の 奥底からの 解放が あるのだ。

これが たっちゃん風 瞑想の すすめである。