たっちゃんの 実力

ダイジは 「すること」が なかったexclamation それで 死んだのである。 ダイジ 一番弟子も 「すること」が なく、 死にきれずに いる。 そして 私 たっちゃんも そうだ。 今日は 特に きつかったexclamation デイナイトケアが ないので、 実際に することが なく、 ただ ベットで 横たわる だけの 半日だった。 

「すること」が ないというは 本当に きついものである。 人は 何かを 「する」 ように 出来ている。 それが ないのである。 

日常的な 掃除、洗濯も すんだ。 本を 読む気にも なれない。 人と 話しても つまらない。 それが ピークに 達したのが、 夜の 8時過ぎ。 なんとか 石原裕次郎の CDを 聞く気に なって セット した。

それが 起こったのは、 「恋の町札幌」が 流れてきてからだ。 意識が 曲に 集中する。 グングン 意識が 広がる。 セリフが 見えるようだ。ハート そして 曲が 終ってから 意識が 変わったのである。 もう 「すること」が ないという 悩む 自分が 消えて 異国の 世界に 連れて 行ってくれたexclamation

朝の 7時半から 13時間が かかっていたexclamation もう 「すること」が ない自分ではない。 やっと 晴れ間が 見えてきた。 そして 悩む 自分が 消えて 「平常心」に なった。

「悩み」の ピークも それを 越えると Everythin IS OK となる。

ただ たっちゃんの EVERYTHING IS OK は 究極ではない。  それでも 十分に どこでも 通用 する 代物だ。 そして 苦悩を 言い放つ。 それは ダイジが 言えなかった 苦悩を たっちゃんは 言うのが たっちゃんらしさで あるからだ。 かっこよさだけを 求めても 通用 しないと 思うからだ。 そして 本音で 語る 時代だからである            。

EVERYTHING IS OK

ダイジと 深い縁がある 禅の 老師と セッションを する機会に 恵まれた。 いわゆる 禅問答である。 結果は 大成功消防車。 別れたあと 全体解放が 起こったのだ。 身心脱落ではないのだが、 いつもと同じ、 マイ ポジション  Everything Is OK である。

嬉しいのは 嬉しかったのだが、 身心脱落で なかったことに たっちゃんの 限界を 感じた。 身心脱落まで 到達 できなかったことだ。 もう少し 詳しく いうと 疑問が ないのだ。 Everything Is OK で 自分の 意識が 止まっているのだ。 もうこれだけで 至福感で 一杯だ。 こういう 状態だ。

これは 何を、意味しているの だろうか? ダイジに深い縁がある 禅の 老師の 身心脱落を 認めたのだ。 分かち合うことが できたのだ。 これで ダイジ ワークは 一歩 前に 進んだことになる。 もう 安心して 私 たっちゃんは 「タッチャン ワールド」のみで 逍遙 することが できる。

誰もが 身心脱落を 目指して 修行するが みんなが 身心脱落 訳では ない。 本当に 限られた 者に その道は 開かれる。 私 たっちゃんが ニルヴァーナに 入るのは 100パーセント 肉体を 離れて もう もどらないときだ。 もう ダイジ ワークの 第二世代の 枠組みは 決められた。 活躍するのは このような ダイジ コミュまで たどり着いた 者で 高い 意識 レベルの 人たちだ。

タッチング そして 純粋瞑想へ

タッチング そして 純粋瞑想へ

高い ハードルを 課した 友から 一年ぶりに 連絡が あった。 一年前に 今度 来るときは 命を 持ってこいと 脅して 別れたのだ。 もう 私 たっちゃんは 二度と 連絡して 来ないだろうと 思っていた。 その友から 連絡が あったのだ。 住所も 変わって いたのに よく 連絡を してきたなあと 感心した。 今年の 7月の 事である。 

よっぽど 腹を 括ってきたのだろう。 タッチングは 大成功消防車ハートラブレター。  深い 意識に 至った。 本人 曰く 「こりゃ 文章に 書けないなあ」。 本当に 言葉では 言えないくらいの エクスタシーだったのだ。 

だが タッチングの 限界も 感じた。 その前に 神秘体験と 知的理解の ギャップが あるのだが、 タッチングは 所詮 気持ちが いい という レベルなのだ。 Everything Is OK とは 全く 別問題なのだ。

だから 今度 来るときは さらに ハードルを 上げて 純粋瞑想を 分かち合う ことに している。 ダイジの 純粋瞑想 クンダリーニ、只管打坐 とは ちょっと 違うのだが、 基本的には 同じものである。 ダイジは ニルヴァーナに 到達 しているのが、 たっちゃんは その 一歩 手前 Everything Is OK  なので、 そこまで 分かち合いを したいのだ。 その友とは できると 思っている。

その友とは 十分に 信頼関係が 出来上がって いると 思っている。 なぜなら、 信頼関係が 出来ていないと 何を やっても ダメなのだ。 しかし この 信頼関係も 受け手に かかって いるのだ。 私 たっちゃんは 相手を 理解を 越えた 理解で 信頼 しているのだ。 そして 相手の すべてを 背負って いるのだ。

もう たっちゃんは 純粋瞑想しか 分かち合いが できなくなった。 今度は 純粋瞑想に ついて 書くつもりだ。