アナハタの解放、 サハスラーラの解放

メンタル体は 通常 形が ないと ダイジは 言っていますが、 具体的には、 ムラダーラの 場合は 活性化すると 急に 力が 出てきたり、 急に 動きたくなったり、 スワジスターナの 場合は 安心感が 起こったり、マニピュラの 場合は 喜びが 起こったりします。 アナハタの 場合は 「泣く」の 一言で、 すべてを 言い表して います。

アナハタだけによれば、 平成までは アナハタの 愛だけで 十分に いろいろな 事象に 対応 出来ていましたが、令和の 時代に 入ってからは、もう 追い付かなくなって 来たのでは ないでしょうか。 例えば 自然災害などは  個人の 力を 越えた、 地球規模的な 対策が 必要では ないかと 思います。

それに 対応するかのように サハスラーラの 解放が 起こりました。 もう少し 説明すると アナハタの 愛だけでは もう 満足 できなく なってきたのです。  慈悲の愛に 満足できなくて、 苦しい、苦しいと もがいて その エネルギーが サハスラーラまで 上昇 していったのです。 ただ 残念なのは 「死の体験」では なかったと 思われます。 確かに 意識は 頭頂まで 登った。 頭頂まから 宇宙が 広がった。 そこで やっと 落着したのです。

私は 普通の おっさんです。 特に 神秘体験を 求めて いたわけでは ないのです。 今の 時代の 息苦しさを 痛感 しきって いたのです。 そして 普通の おっさんが 頭頂 サハスラーラまで 到達しなければ ならないほど 今の 時代は 激変の 中を 突っ走って いるのです。

今この 瞬間から サハスラーラの 時代に 突入したのです。 アナハタの 愛に 留まって いる 時代では もう ないのです。意識が 自然に サハスラーラに 行って 楽に なるのです。 
これは 人為的に おこなっては 危険です。 これを 人為的に 起こせるのは 覚者だけでは ないでしょうか?

残念ながら たっちゃんは サハスラーラの 解放が 起こったexclamation ことの 体験報告者で あって、「対話」は できますが、 「教える」 人では ありません。